Last Updated:2007.01.06
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殺人のために生み出された兵器である47は、生みの親であるオートメイヤーと決着をつけた後、自分の生き方に疑問を感じていた。そして彼は殺しの依頼をする「組織」との連絡を絶ち、自分の蓄えた莫大な資産を全て寄付した上で、罪の償いのため教会で働くようになったのだった。しかし平穏な生活は長く続かず、47の情報を聞きつけた何者かが、47を利用するために友人である神父を誘拐してしまう。47は神父を助けるため、再び「組織」に連絡を取り、闇の世界へ足を踏み入れる。
続編物の2作目にあたる作品には、主に2種類のパターンがある。1つは最初からしっかりしたシステムとバランスが構築されていて、続編でそれに変化を求めるタイプ。もう1つは面白いのだが荒削りなシステムを使っていて、反省をもとに続編でそれを昇華したタイプ。この作品は、まさしく後者の典型的な例といえるだろう。
まず一番に注目してもらいたいのが「リアリティ」の進化である。グラフィックが美しくなったというのはもちろんだが、今作では生きた人々がゲームの中にいるのだ。どういうことかというと、例えば前作での潜入任務というのは、無駄のない配置で最低限の人数が見張っている、言わば「要塞」を攻めているような感じがあった。ゲームとしては間違ってないのだが、これは「日常を過ごす人々の中に溶け込み、密かに残酷な任務をこなす」ヒットマンというゲームにおいては、少々ミスマッチした雰囲気だったのも事実である。
しかし今作では、とにかくアナログに動いているかのような人間が実に多い。パーティー会場に潜入すればボーイが忙しく周囲を動き回り、夫人たちが談笑に華を咲かせている。マフィアの屋敷に潜入すればマダムがキッチンで料理を作り、ドンの息子たちが喋りながら庭で立小便をする。会社に侵入すればプログラマーたちがデスクに座ったり、上司の部屋に移動したりもする。そこにプレイヤーは生活感を感じ、あたかも自分が日常の中で犯罪を犯しているかのような錯覚を覚えるのである。

今作では日常に溶け込んでの暗殺というテーマが強調されており、ゾクゾクさせるものがある
これが前作よりも格段に進歩したといえる。まず注目したいのは「警戒度メーター」だ。これは護衛や一般人が47をどれだけ警戒しているかというものを表すもので、ゲーム中敵が近くにいると常に変動し続ける。警戒度は47の姿、武器、行動、そのときの護衛の警戒心によって変化し、例えば47が変な格好をしたり、走っていると非常に怪しまれる。またそのエリアで銃声を聞いた護衛は警戒心を強め、こちらの行動に非常に敏感になったりもするのだ。逆に47が周囲に溶け込むような変装をし、歩いて行動しているとあまり怪しまれない。ただしスキンヘッドのためか、護衛の近くにいればいるほど警戒心は強くなってしまうので、敵の視界からは素早く離れる必要がある。
音に対する反応も非常に過敏になった。前作では足音を聞いた程度では振り向いたり立ち止まったりしなかったのだが、今作では歩いて背後に近寄っても、こちらを振り向いて怪しむようになった。これにより敵の背後に接近するときは忍び足を使うことが基本になったのだ。ただしこの忍び足の速度が非常に遅く、歩いている敵に追いつくことも難しいので、接近しての暗殺が難しいというのは一つの欠点になってしまった(これは続編で改善されている)。

前作と違い、変装したからといって油断は全くできない。NPCのように自然に動いて敵を欺くのだ。
前作では操作性に不満が多く、ユーザーには大分不評だったようだ。実際私も初プレイ時は、その独特のボタン配置(しかも自由に変更できない)と不親切さ、不便さなどには大分苦戦させられたし、慣れても素早い動作が難しく、ストレスが溜まったのを覚えている。しかし今作ではその点が徹底して改善された。具体的には前作ではマウスかキーボードのどちらかでないと実行できない操作というのが多かったのだが、どちらでも実行できるようになったり、3Dマップの「引っかかり」が全くと言っていいほどなくなったりしている。これには感心した。
選択肢の大幅な増加も本作の魅力の1つ。まず侵入時には、変装の種類からして複数ある場合が多く、場合によっては何に変装するかによって、まるで侵入ルートが変わってしまうこともある。例えば最初のミッションでは、マフィアの屋敷に花を届ける郵便局員、荷物を運ぶ配達人、外で立小便している護衛などがいて、それぞれ出入りが許可されている場所が異なるのだ。そのため郵便局員は屋敷の裏から、配達人は荷物を置く場所からなど、それぞれの変装を活かしたルートが必要になる。任務の達成方法も遠くから銃撃、コップに毒を入れて毒殺、直接接近しての首絞めなど、一場面に複数用意されているのでバリエーションは豊富だ。
前作は自由度は高いものの、実質的な解法数に関してはそれほど多くないシーンというのが結構あった(特に後半)。しかしこの作品では徹底して複数解に拘っており、ほぼ全てのミッションにおいて3個程度の成功方法があり、また脱出ルートもいくつかありと、非常に自由度が高くバラエティlに富んだ任務遂行が可能になっている。レベルデザインも一部を除いて文句ないレベルで、プレイすればプレイするほど味の出てくるマップは何度も繰り返し遊べる。

ピザ屋に変装してパソオタを暗殺…この他にも警備員に変装したり、正面から撃ちまくって突っ込んだり
前作の12ミッションから20ミッションに増え、マップもなかなか広いので、確かにボリュームはかなり増えた。しかし一部で練りこみ不足のミッションがあり、どう考えても手抜きのミッションがある。具体的に書くと日本ステージの出来が良くない。日本という要素を抜きにしても単調なミッションであるからだ。さらに日本人から見ると、女体盛りで宴会をしているヤクザ、時代錯誤な刀を持って待ち伏せしている忍者、珍妙な日本語と変な発音など、突っ込みどころが満載だ。これはもしかしたら日本人だから不満を多く感じるのかもしれないが、日本ステージ四部作はちょっと忘れてしまいたいほどだ。
大体2000年以降に開発・発売された多くのステルスアクションゲームでは評価システム、即ちミッションクリア時に殺害した敵や民間人の数、発見された回数、発砲数などが表示されるようになっている。ミッション中にプレイヤーの取った行動を記録し、統計をとってくれるシステムはなかなか便利だと思うが、どうもプレイしているとこれが原因でプレイヤーの行動が束縛されてしまうと思うのだ。その最もたる原因は殺害数などと共に表示される「称号」で、大抵の場合「殺害数や発砲数が少ないこと」が高評価の要因とされている。最高称号となると殺害0や発見0を要求されるのは最早当然である。そして逆に敵を殺し過ぎると「大量殺人鬼」「サイコパス」などと判定が下され、ダメゲーマーの烙印を押されてしまう。
しかし、本当に敵を全く殺さずに任務を遂行することが、真にスマートな潜入・暗殺任務なのか?私にはどうもこの評価性のシステムがプレイヤーの攻略パターンを狭めているように思う。「敵を殺さず見つからず、発砲せずクリアするのが上級者のプレイだ!!」と開発者から押し付けられているのである。しかしステルスゲームの大きな特徴は「自由度」であり、特にそれはこのヒットマンでは大きな長所であるはずだ。にも関わらず、ゲームシステムがその自由度を殺そうとしてしまっている。
前作「コードネーム47」に評価システムは存在しなかった。一般人を殺すともみ消し量がかかったが、適度な抑止力にはなるもののお金持ちの47は気にする必要はなかった。前作には「リスクを減らすためのリスク=必須でない殺人」という概念が認められており、そこには開放感があった。しかし今作には、言い表しようのないプレッシャーと抑止力がある。誰にも見られずに見張りを殺して颯爽と変装しても、何か後ろ髪を引っ張られるような後ろめたさがある。評価システムは必要なのか?ヒットマンだけではない。いくつものゲームに、このような傾向は見られる。
実に素晴らしいステルスアクションゲームである。良いところはさらに進化し、前作の悪いところのほとんどは改善され、且つバランス良く無難な出来に仕上げている。短すぎず、長すぎず、最後の面は雰囲気的にもストーリー的にもキッチリ絞めているのは良い。アクションゲームが苦手な人やヒットマン初体験者には少々とっつきにくいかもしれないが、要領が分かれば誰でも楽しめる名作である。
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