臨死に猫として付き添うゲーム
Independent Games Festival 2011のNuovo Award(新奇性のあるゲーム)の最終選考に残ったゲームであり、なかなか興味深い。
この作品はイランの元首相であるモハンマド・モサッデク(Wikipedia)の人生を回想していくドキュメンタリー的なゲームである(彼は1953年にクーデターにより失脚し、その後幽閉中に死去する)。ただしプレイヤーが操作するのは彼の飼猫で、部屋の中にある物を動かすなどして、間接的に彼を導いていかなければならない。
ゲームとして見ると内容が短すぎてやや貧弱、実験的な意味合いの強い作品と思われるが、いくつか面白い点を持っているので解説していこう。
ADVとして見た場合
ADVとして見た場合、マップ中にあるオブジェクトに干渉して間接的に主人公を動かしていくゲームというのは大して新しいものではない。しかし、本作の核心はそこではないのだ。このゲームは「モハンマド・モサッデクの臨死体験に猫として干渉する」かのような独特の雰囲気がとても印象的なのである。
ゲームは猫が止まった時計を壊し、時間を巻き戻すことで、死の床についているモハンマドから霊魂(?)が飛び出すシーンからスタートする。この霊魂はまるで夢遊病者か、はたまた知性を失った地縛霊のようだ。過去に自分がとった行動を反復し続け、猫がインクを蹴飛ばせばそれを追いかけていく。彼はこの「記憶の部屋」の中に捕われているので、プレイヤーは何らかのアクションで彼を間接的に部屋から追い出す、というのがゲームの進め方になる。
ADVとして見ると簡単過ぎ、謎解きよりも、この独特の雰囲気を味わうための雰囲気ゲーとしての面が強いと言えよう。しかしその表現力は圧巻であり、プレイヤーに強烈な印象を残す。下手な3Dゲームよりも、遥かに多弁にこの時代の混沌とした情勢や悲哀をプレイヤーに伝えてくる。またあえて物理法則や論理などを無視した展開や謎解きが、この人物の死の床で見た夢か、臨死体験の中を彷徨っているかのような雰囲気を作り出しており、本作をユニークなものにしている。
ドキュメンタリーとして見た場合
シンプルな謎解きとは裏腹に、ドキュメンタリー作品として見た場合は内容が抽象的で、何の前提知識も無しに観ると恐らくよく理解出来ないだろう。時代を遡っていく過程で見るすべての光景は、彼の人生体験を抽象的、風刺的に描いたものとなっている(例えばイギリスは醜いブルドック、アメリカはマッチョなトカゲとして登場する)。
また過去に遡る形でモハンマドの晩年を見ていくので、時系列に沿った理解がしにくいのも難点だ。ゲーム中に台詞は出てこないし、わずかな文字だけで出来事が表されているので、このゲームに「資料性」はほとんどないと言っていいし、彼について知らない人間にその人生を丁寧に教えてくれるようなものではない。
しかしドキュメンタリーの目的が、作者が広く訴えたいと思うことを視聴者(ユーザー)に認知させ、その歴史や問題について考えさせることにあるのならば、このゲームはドキュメンタリーとしても成功していると言えるはずだ。少なくとも私はモハンマド・モサッデクという人物について、ゲーム終了後に興味を持ち、インターネットを使って彼について調べるに至った。この作品は、ゲームというインタラクティブ・メディアが社会教育的な面でどのように活用できるか、その可能性の1つを示していると思う。
なおゲーム中に登場する文章のソースは公式サイトに掲載されている。







